30年前の今日

今日は令和3年10月9日で当時19歳の私の命日で、生まれ変わった日です。

なんと、自動車大事故をしてから丸30年‼️

周年イベントしなあかんね😁

この大破酷いシビックセダンに乗っていて信号無視でぶつけられ意識不明でした。

スーパーレスキュー隊に助けてもらったそうです。

顔から頭まで、40針縫いました。

肺も損傷し血が溜まり呼吸困難。

輸血もしました。

一番重症なのが、右足関節粉砕脱臼骨折でした。

すぐにオペが必要でしたが、当時助けてもらった救急病院では、足首が動かない固定手術しか出来ないと言われました💦

足首が全く動かないと19歳で一生杖が必要になり歩行に支障が起こります。

そこで、母親がたまたま人から上六の大阪赤十字病院に有名な名医がいるからその先生なら固定せず治して頂けると聞いたそうです。

そこで、母親が日赤病院に出向き入院手術をお願いしましたが、満床で半年待ちで入院出来ないと門前払いでした。

諦めずに、毎日日赤入院センターにお願いに通っていたそうですが、なしのつぶてで話も聞いてくれなかったそうです。

早く手術しないといけないし、日赤は入れてくれない。

途方にくれていた母親と兄は、たまたま当時住んでいたマンションのオーナーが話しかけてくれて、「どうしましたか?」と。

事情をたまたま話すと、マンションオーナーはすぐに電話をかけてくれて、「もう大丈夫ですよ‼️」「心配ありませんから任せて下さい‼️」と言われたそうです。

❓❓❓

母親、兄はよくわからなかったけど、しばらくして自宅に当時 現自治大臣 前官房長官をされていた塩川正十郎(塩爺)事務所から電話があり、「中山さん、日赤に言っておきましたから今すぐ病院に行って下さい。入院できますから‼️」

当時は東大阪在住だったので、塩川大臣(塩爺)の地盤でした。

びっくりしたのと、半信半疑で日赤入院センターに向かったところ、病院職員の態度が変わり「中山様、お待ちしておりました。病室すぐにご用意出来ております」との変わり様にビックリでしたが、塩川大臣のおかげで本当に助かりました。

手術は大成功に終わり、もちろん固定せずに可動域を少し残してくれました。

そのおかげで、歩いていても足が悪い様には思われません。

それに今日は、その大怪我をして30年、まだ普通に歩けてるし何の問題もありません。

本当に塩川先生から、O野医師から他にも沢山の方々に大変お世話して頂いたおかげで30年歩ける事が出来て心から感謝です。

私は今もそうですが、周りの方々に非常に恵まれていると思います。

ありがとうございます😊

初心を思い出しながら世の為人の為に尽くし施術に励みます🌹🌹🌹

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